【追記あり】ChatGPTに「文学作品っぽく、カップラーメンの作り方を説明してください。」とネタ出ししてもらった
もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたらを思い出して、ChatGPTにこんな質問をしてみた。
文学作品っぽく、カップラーメンの作り方を説明してください。
その結果は以下になった。それなりに笑えるが、文体模写からは遠いかも知れない。
ちゃんと模写するべき作品や作家名を入れるべきだったのだろうか?
荒廃した都市の片隅に佇む古びたアパートメント。その一室に、薄暗い光が差し込んでいた。荒れ果てた部屋の片隅には、ひとつの小さなガスコンロが置かれている。その上には、薄い金属の鍋が静かに燃える炎によって温められていた。
若干の水をその鍋に注ぎ、その水を煮立てる。水が沸騰すると、冷たくて硬い麺を手に取り、優しく湯に沈めた。麺は徐々に柔らかくなり、水面を揺らめく波紋と共に、その芳醇な香りが部屋に漂い始める。
やがて、麺が煮え上がり、水を捨てる。鍋に残った湯気が、部屋をやわらかな霧で包み込んだ。そして、秘められた魔法の粉末を鍋に加える。その瞬間、香りは一層深みを増し、魅惑的なスパイスの調和が生まれる。
最後に、小さな容器に注がれた濃厚なスープを、麺の上にそっと注ぐ。スープが麺にしみ込むと、部屋中に満ちるほどの香りが一層濃厚になる。そこに、鮮やかな彩りを添える野菜やトッピングを加えれば、この料理は完璧なるものとなる。
そして、その孤独なアパートメントで、ひとりの料理人が、自らの孤独を愛しみながら、丹精込めて一杯のカップラーメンを作り上げる。その味は、まるで彼の心の底から湧き出るようであり、誰もがその味に触れれば、その奥深さに魅了されるに違いない。
というか、こんな下らない思いつきじゃなくて、ちゃんとした文芸作品をお届けしたい。
先に文芸サークルの皆に見せて、推敲してからなのでしばし待たれよ。
【ここから追記】
指定の仕方を変えた。村上春樹風と太宰治風だ。
正直、文体模写からは遠く離れた感じがする。「風」が余計なのかも知れない。要検証って事か。
村上春樹風にカップ焼きそばの作り方を説明してください。
いいですね、村上春樹風にカップ焼きそばの作り方を説明してみましょう。
ある日の午後、静かなカフェに座っている。窓から差し込む陽光がやわらかく、小さなテーブルの上には古びたカップ焼きそばが置かれている。それを作る手順は、いたってシンプルだ。
まず、手に取ったカップ焼きそばのフタを優しく開ける。その瞬間、熱い蒸気と共に、香りが部屋中に広がる。そして、箸を手に取り、そっと麺をほぐす。その動作には、時間の流れが止まったような静寂が漂う。
次に、付属の調味料をカップの中に注ぐ。醤油の香りが漂い、空気が甘く濃厚な雰囲気に包まれる。そして、再び箸を使い、麺と調味料を絶妙に混ぜ合わせる。その手つきは、まるでピアニストが鍵盤を奏でるかのような、繊細で美しいものだ。
最後に、再びフタを閉じ、数分間じっと待つ。その間、周りの世界が静かに息を潜め、時間がゆっくりと流れる。そして、完成したカップ焼きそばを口に運ぶ瞬間、心地よい満足感が身体を包み込む。それは、村上春樹の小説を読み終えた後のような、深い満足感だ。
こうして、静かな午後にカップ焼きそばを作る。その瞬間には、日常の中にも美しさが潜んでいることを思い出させてくれる。
太宰治っぽくカップ焼きそばの作り方を述べたら?
では、太宰治風にカップ焼きそばの作り方を説明してみましょう。
誰かが手に取ったカップ焼きそば。その存在は、どこか寂しげでありながらも、どこか懐かしい雰囲気を漂わせている。
まず、冷たい水を注ぎ、その音が静かな部屋に響く。カップの中に響く音色は、夜の静けさに寄り添うようなものだ。
次に、火を灯す。そこに立ち込める火の精は、不安定でありながらも、どこか希望に満ちたものだ。カップの中で麺がゆっくりと膨らむ様子は、まるで人生の営みのようだ。
そして、付属の調味料を加える。醤油の香りが漂い、その独特の風味が室内を満たす。調和を欠いた世界の中で、調味料と麺が出会う瞬間は、まるで愛のようなものだ。
最後に、ひと煮立ちさせ、火を消す。その熱気が部屋に広がり、心地よい温かさが身体を包む。カップ焼きそばの完成は、まるで一時の幸福のようだ。
こうして、太宰治風にカップ焼きそばを作る。その過程には、人生の喜びや哀しみが織り交ざり、深い感慨が心を揺さぶる。
アイデアは面白いが、文章の模写度は多分低い気がするんだよなあ。村上春樹っぽくワンセンテンスが長いのは、特徴つかんでるっぽいけど。
有識者の意見を求めたいところだ。
【追記ここまで】